月別アーカイブ: 2021年3月

ワクチン打ちました。

ここワシントン州でも今年初めからワクチン接種が始まって、一時期予約が取れない状況だったのが、今月に入って一気に接種が加速しています。
ワクチンについては、受けるか受けないかは今のところ、その人個人の意思によるものですが、私は受けることにしました。

つい1週間前に予約をしたところすんなりとアポが取れ、今日1回目の接種が終わりました。場所は、すぐ近所のスーパーマーケット内の一角にある薬局だったので、買い物ついでに行く感じでほんの10分足らずで終わりです。
今のところ体の違和感はなくまずは一安心です。
2回目の接種は3週間後、でもこれですべてが安心、ということではないので、引き続き感染対策は必要です。
そういえば、今日見たニュースで、日本でも有名なドーナツ屋さんのクリスピークリームが「ワクチンを受けた人にオリジナルのドーナツを無料進呈」、だそうです!
こういうのはアメリカっぽいですね。

学校も少しづつ対面授業がが始まったり、レストランなども50パーセントの稼働率で徐々に経済活動も進んでいます。屋内での集まりも10人までは可能になりました。
アメリカは人が集まることが多いので、今年は独立記念日恒例のBBQパーティーを計画している人も多いかもしれません。
(家のご近所さんで、コロナ関係なく何十人と集まってパーティーをやっている人達もいますが😵)

また、最近アメリカでは、アジア系の人が攻撃されるという事件が起きています。シアトル市内のチャイナタウンでは日系の女性が暴力を受け怪我をする事件が起きました。
そのあと、あちこちでアジア系に対する差別や暴力への抗議集会も行われているようです。

去年から今年、世界中がかなり不穏なムードに変わっているような気がします。
ワクチン接種が進んで、ある意味では良い方向へ流れ始めている部分もあると思いますが、同時に負の連鎖も続いています。
昨日はコロラド州のボルダーで銃乱射事件がありました。私も何度か行ったことがあって、綺麗で平和な街だと思ったところです。
こういう事件も負の連鎖なのでしょうか?

今、私が住んでいるところは比較的安全で怖いこともあまり起きてはいないけど、でもやはりいろんな意味で緊張感をなくさないように行動しないといけないなと改めて思います。

日本はもう桜の季節ですね!こちらでも早咲きの桜があちこちで咲き始めました!
こういう時は、静かにゆっくり自然を楽しめる中に身を置いてリラックスしたいものですね。

311から10年

10年前の3月11日、金曜日の午後、私はその日はボーカル教室の仕事も休みで家にいました。午後のまったりした時間でした。
夕方から近所に買い物に行こうかどうしようかと思いながらもCDを聴いたりテレビを見たりしていました。
そうこうしていたらあの経験したことのない揺れが始まりました。私がそれまで経験した大きな地震は、伊豆半島沖地震でした。その時は両親と伊豆に住んでいた頃です。
それ以来、東京に来てからも少しの揺れでも敏感になっていました。
311の当時は4階建てマンションの4階に住んでいました。その建物は鉄筋で小さな揺れはそれほど影響のない強いものでしたが、とにかく揺れに対してとても敏感だった私は、初めてのものすごい揺れに、初めて身の危険を感じたほどでした。
一人だし、4階の住人は皆、昼間は留守で私一人だったと思います。幸い、物が落ちたり、倒れたりしなかったものの、立っていられないほどの揺れと、なんとも言えない地面からの地鳴りのような音が怖くて、玄関のドアを開け、ただただ恐怖の中にいました。
幸い、静岡に住んでいる兄弟と電話が通じたので、母の様子を聞いたり、お互い、大丈夫、大丈夫、と言いながらずっと揺れ続ける中で、電話を握りしめていました。
でも、本当の恐怖はそのあとに見たテレビの映像を見た時でした。
震源が東北だったこと、地震の後にくる大津波があんなにも無残に何もかも飲み込んでいってしまうこと。私はずっと自分の部屋の中で、安全でどこも壊れず、怪我もなく、家族も皆んな無事で、、、でも同じ瞬間、あんなにも凄いことが起きていたとは。
都内も1週間くらいでしたか、余震が続いて、街中の電気も消えていたり、お店も閉まっていたり、今まで見たことのない光景でしたが、それでも普通の生活ができていました。

日本は本当に災害の多い国だと思います。特に最近は水害や台風被害が多いように思います。夏のゲリラ雷雨も。子供の頃の夕立なんてそれに比べたら風流なものだったような気がします。夕立の後のあのひんやりした空気。クーラーもない時代でした。

水害と言えば、以前両親が住んでいた家が水害に遭ったことがありました。
その日は、ちょうど私の南青山マンダラのライブの日で、いつもライブを楽しみに上京してくる母から朝、電話があり、こっちはひどい大雨で今日は行けないかもしれない、ということでした。
午後になり、もう一度母から電話があり、、、「もう床上まで来てしまった」と。
ライブの翌日、すぐに様子を見に実家に帰りました。実家はとてももう住める状態ではなかったけど、何より両親が無事だったことにホッとした覚えがあります。

今、私が住んでいるワシントン州も、地震があるところです。2001年にはマグニチュード6.8の大きな地震があったようです。空港も被害にあったとか。
でも、普段は滅多に揺れることがないため、地震のことはすっかり忘れてしまっています。
私がここに来てから7年ですが、地震は一度も経験していません。それほど普段は地震がないところです。
東京にいる頃は、いつもどこにいても、今地震が来たら、、というのが頭にあったような気がします。そういう不安はここでは感じないけど、油断ができないということです。

東日本の後も、あちこちで大きな地震に見舞われていますね。アメリカにいてもいつも日本の地震のニュースを見ています。
あれから10年、といってもまだまだ厳しい生活を強いられている人たちが多くいること、そしてこのコロナ。311もまだ終わってはいない、コロナもまだ終わってはいない。
価値観さえも大きく変わっていきそうな状況ですが、こんな時だからこそ、今大事なものを考える、大切にする。弱い人にも寄り添える気持ちを持つ。寄り添ってくれる想いに感謝する。シンプルに生きることが一番難しい。人は何かしら背負っている。
でもどこかで何かに救われている。それが見えなくても、必ず何かに支えられて生きている。

”明日は今日よりちょっぴりいい日でありますように、、、”
私の母が生前いつも父の仏壇に向かって呟いていた言葉です。
今は、同じ言葉を私が呟いています。